子どもたちには自由に伸び伸びと育っていただきたいと願っているにも関わらず、勉強の先取りや様々な習い事など、あれもこれもと教え込むことにせき立てられがちではございませんか。「やりすぎ教育 商品化する子どもたち」という著書を持つ臨床心理士の武田信子様は、大人の期待が子どもを疲弊させているとの見解を示しています。
(※2024年3月7日(木)朝日新聞朝刊の記事を参考に要約しています。)
子どもの育成における現代の課題と親の役割
現代における「育ちは親の責任」「停滞は無駄」といった社会の価値観に対し、見直しの必要性が指摘されています。子どもたちには様々な経験をさせることが推奨されており、塾通いや習い事などへの早期からの投資が普及しています。しかし、これらの活動が子どもにとって楽しいものである限りにおいては良いものの、過度になると子どもに悪影響を及ぼす恐れがあるため、注意が必要です。特に、親が自己の承認欲求や競争心を反映させた結果、子どもの休息時間を削ったり、過度な制限を課したりすることは避けるべきであるとされています。このような行為は子どもの成長にとって有害であり、親は子どもの選択を尊重し、学ぶ姿勢を示すことが求められています。
エデュケーショナル・マルトリートメントとは?
著書にて、「エデュケーショナル・マルトリートメント」という概念が紹介されています。これは、子どもに対する不適切な教育行為や過度な教育を指す言葉であり、従来の「虐待」の概念よりも広い範囲の不適切な行為を含むものです。この言葉は、子どもが自らの成長や発達のニーズに基づいて学ぶのではなく、大人の不安や欲望によって教育が強制される状況を指しており、親による教育虐待や大人による教育の連続的な強制、遊びの剥奪を含んでいます。重要なのは、この用語が個人の責任を問うものではなく、社会全体の問題を指摘するために用いられるべきだということです。
子どもへの期待と社会的背景
社会には、「子どもには人並みかそれ以上に優れた大人になってほしい」という大人の欲求が広く存在しています。これには将来の生活不安や、子どもを良い環境に導くという責任感が背景にあります。特に、1980年代以降、親が子どもの成長に大きな影響を与えるという考え方が強まり、教育や社会・経済的地位が子どもの将来に大きく関わるとされてきました。これが、早期から多大な投資を子どもに対して行うことが親の責任とされる風潮を生んでいます。また、一律の教育や受験制度などにより、早期教育への焦りが生じ、子どもの失敗や停滞を無駄とみなす価値観、子どもの権利に対する無知が問題となっています。これらの問題は、単なる個々の問題ではなく、社会全体で考えるべき重要な課題です。
価値観の見直しとエデュケーショナル・マルトリートメントの予防
現代社会では、子どもを「いい子」にしようとする一般的な価値観が、親だけでなく学校や政治にも浸透しており、その結果として子どもがエデュケーショナル・マルトリートメント(教育をめぐる不適切な行為)のリスクに晒されています。大人自身も、このような価値観の中で苦しんできた可能性があり、そのために生じる問題を解決するためには、これらの価値観を根本から問い直す必要があります。家庭においては、「親は選択肢を提供するのみで、最終的に選択し決定するのは子どもである」という考え方が重要です。また、子どもに様々な活動を強制するよりも、大人が自らの人生を楽しみ、学び続ける姿を見せることが、より良い影響を与えるとされています。